2014年12月04日
自己紹介 増田雅之 (前編?)
活用塾メンバーの皆さん、このブログをご覧になっている皆さん、新規メンバーの増田雅之です。
活用塾への入塾へのいきさつを含めて自己紹介(略歴)させていただきます。
プロフィール
■名前:増田 雅之(ますだ まさゆき)
■年齢:51歳 1963年(昭和38年)8月14日生まれ
■職歴:富士通・富士通ソフトウエアテクノロジーズ (1986年4月〜2014年6月)
■現在:起業準備中(IT系コンサルタント、セミナー事業)
とここまで書いていて、「つまんねー」って感じ
「会社辞めたんだからもっと自己アピールをしていかないと」と何人もの人に言われているし
なにより、このブログを読み進めようって思われないだろうから...
ということで、文体もいつもの調子で…
多分、長文になるけど、覚悟して読み進めて!
(この機会にこの30年を振り返って…)
■退社のきっかけ
といっても、入社(22歳)した日には、5年以内には独立して会社起こすぞーって思ってました ^^;
が、結果はずるずると28年
25歳で結婚して、28歳で長男、30歳で次男、33歳で三男と会社をやめない理由ができて(作って)
気がつけば50歳
さすがに、まずい、もう後がないという年齢
父が75歳で亡くなったことで、人生の2/3が過ぎたという実感も…
富士通という会社、ほんとにいい会社で、会社の雰囲気、仕事の中身、給与… なんにも文句はないのだけれど…
如何せん、大企業 相手は、大手一流企業ばかり…
青臭いけれど…
「自分の力で稼ぎたい」、「自分の力がいくらになるか試してみたい」
そんな思いと
「相手(お客様、ビジネスパートナー)が喜ぶ顔が見たい」 ← 大改造ビフォー・アフターの匠に相当影響されてます… ^^;
こんな思いが後押しし、ようやく退職願提出へ(2014/1)
■富士通時代(1986年〜2014年)
私の居た富士通の部署、富士通ソフトウエアテクノロジーズの主な役割は、富士通が販売するパッケージソフトの開発
富士通のソフトといっても一般にはあまり知られたいないけれど、データベース、CAD、ERP(会計など)など相当広範囲の業務ソフトを販売
私も20歳台は、まじめにプログラマー、SEなど技術者としてがんばってました
が、
1990年初期
今では死語となったオープン化の波の到来
(補足:オープン化=簡単にいうと富士通がそれまで儲けていた大型汎用機が衰退し、WS(ワークステーション)、UNIX、PC、Windowsなど安くて小型の機器の時代へ)
と
バブルの崩壊
それまで、体力的にはキツイけど、ビジネス的にはのんきなソフトウェア開発部門はいっきに苦境へ
(補足:のんき=オープン化以前は、ソフトウェアはハードウェアのおまけ的な扱いのため、ハードウェア部門の儲けで…)
急激なソフトウェア開発業務の縮小、業績の悪化を受けた社長の方針は、
「各事業部、子会社は自前で食っていくこと!」
「ソフトウェア以外のビジネスを考えやがれ!」
ビジネスとは無関係な技術者集団には無体な指令!
とはいえ、内心、ソフトウェア開発に飽きていた(だって、同じ連中としか合わないし、客がどんな使い方をしているかも分からない、なにより、商売している感覚がない)、私には捲土重来
社内ベンチャーの企画提案に応募
この時(1996年)に提案した企画が、「インターネットプロバイダ Webしずおか」
まだ、一般にはインターネットという言葉すら浸透していない時代
UNIX上のソフトウェア開発をしていたためインターネットを使っていたと理由だけで、
今となっては恥ずかしい限りの投資・回収計画を添えて、提案
経営陣も技術者ですから、ビジネスは良くわからなかったんでしょう なんなく採用
ところが、これが当たった!
時代の後押しが大きかったのでしょう!
・Windows3.1、Windows95の登場
・テレホーダイの開始 (若い人は知らないよね… ^^:)
・ネットサーフィン(これも、若い人は知らないよね… ^^:)
・・・
とにかく爆発的なインターネット利用人口の増大!
もちろん、静岡県内でも熾烈な競争の時代へ!
差別化の掛け声は、
県内どこでも3分10円(これも若い人は知らないよね・・・ 市内通話でアクセスできるアクセスポイントを設置すること)
大量の申込書の設置(県内全ての電器店、ガソリンスタンドなどへ)
これも当たった!
Webしずおかの会員も3年ほどで3万人突破!
ビジネスが拡大することはもちろん、それまで技術者としてしか仕事をしていなかった自分にはすべてが新しい世界
広告・宣伝(テレビCM、電気店へのチラシの配布、ティッシュ配り…)
販促(販売代理店開拓・契約、電気店への申込書の設置…)
予算管理(損益計算、機材購入費、販促費、その他コスト…)
人材管理(ネット技術者の確保、営業・マーケティング員の育成…)
・・・
なにより、お客様との直接のやりとり、パートナーとの連携… これほど面白いとは
なにより、自分の下した策が当たったり、外れたり… これほど面白いとは
社内ベンチャーとはいえ、まるで社長になったような気分
この時代にいっきにビジネスの基本と人脈の広がりを得ることに
が、ここを頂点として、サラリーマンとしては下り坂の時代に入ることに…
ここまででずいぶん長くなってしましました。
続きは、機会がありましたら…
おっと、活用塾への入塾のいきさつだけ簡単に
■活用塾への入塾のきっかけ
活用塾への入塾のきっかけは、今年(2014年)の初春、一通のセミナー紹介のメール
題名は、「マイキャリアアップ講座」
活用塾の代表の浜崎さん主催の講座
おー! これだ!
当時(といっても1年経ちませんが…)、すでに会社をやめることを決めたものの、なにをすべきか考えあくね、もんもんとした日々を過ごしていた私はすぐに飛びつきました。
この講座は、簡単にいうと起業は再就職を目指す人に対して、自分のキャリア(過去と現在の能力)を棚卸しして、これからの計画を策定するというものです。
この講座で浜崎先生と知り合ったのが、活用塾への入塾のきっかけとなりました。
活用塾への入塾へのいきさつを含めて自己紹介(略歴)させていただきます。
プロフィール
■名前:増田 雅之(ますだ まさゆき)
■年齢:51歳 1963年(昭和38年)8月14日生まれ
■職歴:富士通・富士通ソフトウエアテクノロジーズ (1986年4月〜2014年6月)
■現在:起業準備中(IT系コンサルタント、セミナー事業)
とここまで書いていて、「つまんねー」って感じ
「会社辞めたんだからもっと自己アピールをしていかないと」と何人もの人に言われているし
なにより、このブログを読み進めようって思われないだろうから...
ということで、文体もいつもの調子で…
多分、長文になるけど、覚悟して読み進めて!
(この機会にこの30年を振り返って…)
■退社のきっかけ
といっても、入社(22歳)した日には、5年以内には独立して会社起こすぞーって思ってました ^^;
が、結果はずるずると28年
25歳で結婚して、28歳で長男、30歳で次男、33歳で三男と会社をやめない理由ができて(作って)
気がつけば50歳
さすがに、まずい、もう後がないという年齢
父が75歳で亡くなったことで、人生の2/3が過ぎたという実感も…
富士通という会社、ほんとにいい会社で、会社の雰囲気、仕事の中身、給与… なんにも文句はないのだけれど…
如何せん、大企業 相手は、大手一流企業ばかり…
青臭いけれど…
「自分の力で稼ぎたい」、「自分の力がいくらになるか試してみたい」
そんな思いと
「相手(お客様、ビジネスパートナー)が喜ぶ顔が見たい」 ← 大改造ビフォー・アフターの匠に相当影響されてます… ^^;
こんな思いが後押しし、ようやく退職願提出へ(2014/1)
■富士通時代(1986年〜2014年)
私の居た富士通の部署、富士通ソフトウエアテクノロジーズの主な役割は、富士通が販売するパッケージソフトの開発
富士通のソフトといっても一般にはあまり知られたいないけれど、データベース、CAD、ERP(会計など)など相当広範囲の業務ソフトを販売
私も20歳台は、まじめにプログラマー、SEなど技術者としてがんばってました
が、
1990年初期
今では死語となったオープン化の波の到来
(補足:オープン化=簡単にいうと富士通がそれまで儲けていた大型汎用機が衰退し、WS(ワークステーション)、UNIX、PC、Windowsなど安くて小型の機器の時代へ)
と
バブルの崩壊
それまで、体力的にはキツイけど、ビジネス的にはのんきなソフトウェア開発部門はいっきに苦境へ
(補足:のんき=オープン化以前は、ソフトウェアはハードウェアのおまけ的な扱いのため、ハードウェア部門の儲けで…)
急激なソフトウェア開発業務の縮小、業績の悪化を受けた社長の方針は、
「各事業部、子会社は自前で食っていくこと!」
「ソフトウェア以外のビジネスを考えやがれ!」
ビジネスとは無関係な技術者集団には無体な指令!
とはいえ、内心、ソフトウェア開発に飽きていた(だって、同じ連中としか合わないし、客がどんな使い方をしているかも分からない、なにより、商売している感覚がない)、私には捲土重来
社内ベンチャーの企画提案に応募
この時(1996年)に提案した企画が、「インターネットプロバイダ Webしずおか」
まだ、一般にはインターネットという言葉すら浸透していない時代
UNIX上のソフトウェア開発をしていたためインターネットを使っていたと理由だけで、
今となっては恥ずかしい限りの投資・回収計画を添えて、提案
経営陣も技術者ですから、ビジネスは良くわからなかったんでしょう なんなく採用
ところが、これが当たった!
時代の後押しが大きかったのでしょう!
・Windows3.1、Windows95の登場
・テレホーダイの開始 (若い人は知らないよね… ^^:)
・ネットサーフィン(これも、若い人は知らないよね… ^^:)
・・・
とにかく爆発的なインターネット利用人口の増大!
もちろん、静岡県内でも熾烈な競争の時代へ!
差別化の掛け声は、
県内どこでも3分10円(これも若い人は知らないよね・・・ 市内通話でアクセスできるアクセスポイントを設置すること)
大量の申込書の設置(県内全ての電器店、ガソリンスタンドなどへ)
これも当たった!
Webしずおかの会員も3年ほどで3万人突破!
ビジネスが拡大することはもちろん、それまで技術者としてしか仕事をしていなかった自分にはすべてが新しい世界
広告・宣伝(テレビCM、電気店へのチラシの配布、ティッシュ配り…)
販促(販売代理店開拓・契約、電気店への申込書の設置…)
予算管理(損益計算、機材購入費、販促費、その他コスト…)
人材管理(ネット技術者の確保、営業・マーケティング員の育成…)
・・・
なにより、お客様との直接のやりとり、パートナーとの連携… これほど面白いとは
なにより、自分の下した策が当たったり、外れたり… これほど面白いとは
社内ベンチャーとはいえ、まるで社長になったような気分
この時代にいっきにビジネスの基本と人脈の広がりを得ることに
が、ここを頂点として、サラリーマンとしては下り坂の時代に入ることに…
ここまででずいぶん長くなってしましました。
続きは、機会がありましたら…
おっと、活用塾への入塾のいきさつだけ簡単に
■活用塾への入塾のきっかけ
活用塾への入塾のきっかけは、今年(2014年)の初春、一通のセミナー紹介のメール
題名は、「マイキャリアアップ講座」
活用塾の代表の浜崎さん主催の講座
おー! これだ!
当時(といっても1年経ちませんが…)、すでに会社をやめることを決めたものの、なにをすべきか考えあくね、もんもんとした日々を過ごしていた私はすぐに飛びつきました。
この講座は、簡単にいうと起業は再就職を目指す人に対して、自分のキャリア(過去と現在の能力)を棚卸しして、これからの計画を策定するというものです。
この講座で浜崎先生と知り合ったのが、活用塾への入塾のきっかけとなりました。
この記事へのコメント
増田さん、とても詳しい自己紹介、どうもありがとうございます。
メンバーは勿論ですが、多くの人が増田さんに興味を持ってくれるといいですね^^
あと、写真があるともっと良かったですよ^^;
メンバーは勿論ですが、多くの人が増田さんに興味を持ってくれるといいですね^^
あと、写真があるともっと良かったですよ^^;
投稿者(FPハマちゃん
)) at 2014年12月04日 19:44

webしずおか、ウチの会社で使ってます!
そおですか、増田さんが企画したんですね。スゴイなぁ!!
何事も始めるってのは大変ですから、最初はご苦労されたのでは??
そういったご経験が起業にもきっと役に立つと思います(^ ^)
ナカガワ
そおですか、増田さんが企画したんですね。スゴイなぁ!!
何事も始めるってのは大変ですから、最初はご苦労されたのでは??
そういったご経験が起業にもきっと役に立つと思います(^ ^)
ナカガワ
投稿者(遠州工機@中川
) at 2014年12月07日 17:22
